現実の女を引き合いに出している電波男は甘い本だ
「二次元オタというのは二次元にしか興味が無いので、電波男というのはオタクのバイブルではない」というのがこの文章の趣旨でしょうか。確かに二次元オタとはそういうものだと思いますし、「二次元を知れば三次元に関心が無くなる」というのも実感の上、納得できます。
この文章では「電波男に心酔しているオタ」とそれに反対する自分、という2つの立場だけが書かれています。
>電波男は愛やモテるかモテないかを追及した書き方になっています。
>さて、この愛やモテを追及したというトピックはオタクに関係したものでしょうか?
>関係しませんよね。
我々オタクは愛だのモテだのに興味はないのに、それに焦点をあてている電波男の主張はオタクの実情にそぐわない。そのような本はオタクのバイブルとは言えず、それなのに電波男に賛同しているオタというのは、持ち前の感受性で本田氏に同情し、彼の心情を我が事のように錯覚しているのだ。…と、端的に言えばこういう論調ですよね。
しかし俺はこの二つの立場とは違う、もう一つ別の立場を主張したい。
それはまさに「愛やモテるかモテないかを追及」したいオタ、という立場です。
別に三次元でモテたいなどと思っているわけではありません、それは二次元の神に誓ってw ただ年中引きこもっていて誰にも会わないような生活をしている人はともかく、やむを得ず一般人との人間関係を維持しなければならない、または意図せず電車の中やテレビなどで「一般人の恋愛論」のようなものを耳にすることがある、という人は自分を含め沢山いると思います。
もちろんそんなものは、我々オタクにとっては愛などとは到底言えず、ただ不快になるだけです。けれどもそれを面と向かって言うことが出来ない、言っても仕方がない。一般人は世間に浸透しきった一般人の恋愛のルールの中で生きているのだから、それを「純粋な愛じゃない!」なんて言ったところでこちらが変人よばわり、良くても「君と僕とでは考え方が違うんだね」と境界線を引かれて、何を言ってものれんに腕押しということになるでしょう。「世界が違う」というやつですね、そういうことが以前ありました。
オタクというのは得てして話したがり、説明したがりだと思います。それなのに本当に主張したい「一般人の恋愛はおかしい」ということについて話せる人がいない。せいぜい同じ意見を持ったオタクの友人に話すか、あるいは自分のblogや掲示板などに書き込むくらいが関の山でしょう。しかもそれは大抵「自分と同じ意見を持った人との話」であり、本当に説明したい相手である一般人はそこにはいません。
そんな人たちが電波男を読むとどうなるか。今まで自分の中に溜まっていた鬱憤が、本という一般人にも触れられる可能性のある、つまり一般人と「世界が同じである」媒体で堂々と論じられているわけですからそれはもう気分がいいものですよ。
つまりは「我々の愚痴を本という形にしてくれた」ということで電波男を評価しているんですね。これは別に本田氏の生い立ちに同情したからどうこう…という話ではなく、ただ最初から意見が一致していた。実際、あとがき読む前でも電波男を読むのはとても楽しかったですし。
ここまでの文章にどれだけの人が共感してくれるかはわかりませんが、リンク先のコメント欄をみると皆一様に管理人さんの文章に賛同しているので、それだけではなくこういう意見を持ったオタもいますよと示してみたくて、慣れないトラックバックとやらの機能を使って書いてみました。
あと蛇足ですが、コメント欄を見ると「本田氏の洗脳が~」みたいなことを言ってますが、彼は自分の考えを正直に、真摯に書いているんだと思います。それを洗脳と称するのはさすがに失礼なんじゃないかと。